「永遠の蒼(とわのあお)別室 蛙小屋 」 ・ 橘屋さま 作 どうしてそうなったのか理由は分からないが、原因はおおよその見当がついていた。 ケロロ小隊随一の陰険陰湿陰気なあの男、クルル曹長の仕業におそらく違いない。
ギロロはいつものように、テントの中で日課にしている武器の手入れを行っていた。ふと、何かの気配を感じて身構えたときには遅く、目眩がしたかと思うと超時空間へ引きずり込まれていた。
「ここは地下基地か?」
落ちたときに気を失ったらしい。正気に返ったギロロは周囲を慎重に見渡した。
自分の周りにはスポットライトのように照明が当てられむしろ眩しいぐらいだが、その他は真っ暗闇で四方がどれぐらいまで広がっているのか分からない。
足下は無機質な床材で覆われており、どこかの屋内にいることだけは明らかだった。
ギロロは起きあがって素早く自身の体を確かめる。今のところ異変は見あたらなかった。またいつもの『地球侵略のための実験』と称した、おかしな遊びに巻き込まれたのだと思ったからだ。
「おい、クルル!居るのだろう?これは何の真似だ!」
ギロロは眉間に皺を寄せて四方に怒鳴った。反響すらしないところを見ると、ここは相当に広い空間らしい。
「ことと次第によっては、ただではすまさんぞ!」
元々気の長い方ではないギロロは、この手の訳の分からない状況を嫌った。だからこそ、命令された通りに動くだけでいい機動歩兵の地位にこだわっている。
頭を使うのは、兄のガルルやケロロ、そしてクルルのような連中に任せておけばいい。
しかしクルルからの反応はなく、ギロロは段々と苛立ってきた。ここが地下基地なら、核シェルター並みの強度を誇っているはずだ。手持ちの武器では風穴一つ開けられないことは経験済みだ。
『ク〜クックッ…目が覚めたようだなぁ、センパイ?』
どこかでずっと様子をうかがっていたのだろう。例によって例のごとく陰気な笑い声とともに、黄色いケロン人のソリッド映像が現れた。
「クルル、貴様…。」
ギロロは無駄だと分かっていても、腹立ち紛れに銃を突きつけずには居られなかった。
『カッカするのは、まだ早いぜぇ…。』
「何だと?」
案の定クルルの形をしたソリッド映像は、銃口を避けようともしなかった。
『これを見なよ。』
クルルがそう言うと、別の空間に今度はスクリーンモニターが現れた。そこには見慣れた緑色の背中が写っていた。
「ケロロ?」
ギロロは咄嗟に声を上げていた。
クルルが何かを企んでいるとき、必ずと言っていいほど、そこにはケロロが一枚絡んでいる。
だから今回も、どうせまたケロロがつまらないことを考えたのだろうと思っていた。ところがモニターに映し出されたケロロは様子が違っていた。
ケロロは同じような別の場所に閉じこめられているらしく、脱出を試みて床を叩いたり、大声で叫んだりをしていた。
「貴様、今度は何を企んでいる?」
ギロロの鋭い目つきが更に険しくなった。ケロロの青ざめた様子からして、今回はクルルが単独で行動を起こしたようだ。真意が分からず、探るように睨み付けた。
『ク〜クックッ…センパイたちに、殺し合いをしてもらおうと思ってなぁ。』
ソリッド映像のクルルの顔が、暗い笑顔で大きく歪んだ。ギロロは眉間に皺を寄せる。
「貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
『ククッ…ああ、もちろんだぜぇ。』
そう言ってクルルは、くつくつと愉快そうに喉を震わせた。いつになく虚ろな表情は、他人が見れば狂気にでも取り憑かれたかと思うに違いない。
しかしギロロはそこに違うものを見つけた。やはり、伊達に長くは付き合っていない。
「……馬鹿馬鹿しい」
ギロロは付き合って居られない、と呆れたため息をついて踵を返した。その背中に、更に陰に籠もったクルルの声がかかる。
『待ちなよ』
クルルが指を鳴らすと、命令に従うように金属の触手がどこからか伸びてきた。ハサミのようなものを振り回して、ギロロに襲いかかってくる。
「何?」
ギロロは銃を取り出して次々と金属の触手を破壊した。いつもなら容易く掴まっているところだが、今日に限ってはクルルの様子が違う。ギロロは本気で抗った。
「クルル!貴様、何のつもりだ!」
一体どれだけ仕込んであるのか、触手は破壊しても次から次に、まるで植物のように四方からわいてきた。ギロロは生理的に気色の悪いものを感じて頬を引きつらせた。
「いい加減にせんか!」
業を煮やしたギロロは、ソリッド映像のクルルに向かってロケットランチャーを構えた。
『くくっ…』
「何?」
クルルはそれを待っていたようだ。俯き加減の暗い顔にニヤリと嫌な笑いが浮かんだ。ギロロが気がついたときには遅かった。
「・・・っ!」
突然首筋に、刺すような激痛が走り抜けた。ギロロは反射的にそれを掴んで投げ捨てる。
床に転がったのは、昆虫の蜂を真似た小型のロボットだった。尻尾の先には針のようなものがついていた。
「なっ、何をした…」
ギロロは急な脱力感を感じて膝をついた。全身にじっとりと嫌な汗が浮かぶ。
どうやら触手は囮で、本命はこれだったようだ。何かを注射されたのは明らかだ。
『安心しなって。直ぐには死なねぇから。』
計画通りに運んだのが余程愉快なのだろう。クルルはギロロに背中を向けて、肩を震わせながら暗い声で笑っている。
『まあ、ちょっとした殺人ウィルスって奴だな。俺の特製品だけどな。ククッ…』
「貴様…」
並の相手なら簡単に震え上がってしまうような鋭い眼差しで、ギロロはクルルを睨み付けた。その時、クルルが初めて視線を合わせた。
『今から三時間以内に、ワクチンを打たねぇと確実に死ぬぜ。センパイ?』
クルルは物騒なことを顔色一つ変えずに言ってのける。例え仲間であっても、この男にとっては手頃な実験動物でしかないのだろう。
ギロロの赤い顔が、怒りのために余計赤く見えた。
「何が目的だ?」
ギリギリと奥歯を噛み締める音さえ聞こえそうだった。もしこの場にクルルが居たなら、とっくに頭を吹き飛ばされていたに違いない。
『さっき言っただろう?あんたらに、殺し合いをしてもらうんだ…、ってなぁ。』
「クルル…」
『隊長も同じ奴に感染してる。但しワクチンは一人分だけだ。これの意味、鈍いあんたでも分かるよなぁ?』
ソリッド映像のクルルからは真意が分からなかった。ただの悪戯にしてはたちが悪すぎる。
ギロロは威嚇するように喉を鳴らした。
「…何のためにこんなことをする。」
クルルの実験で命を落としかねないのはいつものことだ。正直なところ、今更そんなことに驚きはしない。
しかし今回は何故にケロロを巻き込んだのか、その理由がわかなかった。隊長のケロロにもしものことがあれば、クルルもただでは済まされない。下手をすれば軍法会議ものだ。
『何のためかって?そうだな……とりあえず、退屈だから…、てのはどうだ?』
何よりもトラブルとアクシデントを好むクルルなら確かにあり得そうな理由だ。だが、それだけでもなさそうだ。
『死にたくないなら、隊長を殺してワクチンを手に入れるんだな。』
モニターの中で、ケロロはいつの間にか密林のような場所に放り出されていた。どうやらそこが、クルルが言う殺し合いのバトルフィールドになるらしい。ワクチンが入ったカプセルは、フィールドの中央に立つ巨木の洞に隠されていた。
本当はケロロもぐるなのではないかと考えがよぎる。もしかしたら、あれはただの映像で自分は二人に担がれているのかもしれない。
しかし、今朝からケロロの姿を見ていないのは事実で、クルルの様子からしてもあれは間違いなく本物に違いない。
理由は知らないが、クルルの今回の目的は、ギロロとケロロを戦わせることに意味があるらしい。
ギロロは冷ややかな笑みを浮かべた。
「断ると言ったらどうする?」
『三時間後に身体中から血を吹き出して死ぬことになるぜぇ?』
「ケロロもか?」
ギロロの問いに、クルルは探るようにしながら答えた。質問の意図を計りかねているようだ。
『…あんたが参戦しないんじゃ意味がないからな。しょうがない、助けてやるさ。でも、あんたは確実に死ぬぜ?』
どうやらクルルは、ケロロをただ殺したいだけではないらしい。それを確かめてギロロは安心した。ならば、答えは一つだ。
「分かった。それなら簡単だ。こうすればいい…」
ギロロは自分のこめかみに銃口を突きつけた。
「お前を楽しませてやる気はない。ワクチンはケロロに使うんだな。」
ギロロはゾッとするほど冷ややかな笑みを浮かべて、引き金にかけた指先に力を込めた。
「地獄で待ってるぞ。」
躊躇いは欠片もなかった。ケロロの命と自分のそれでは天秤にかけるまでもない。ましてや、ケロロを犠牲にして長らえることに意味はない。
ギロロはソリッド映像のクルルから決して目をそらさなかった。最後まで射殺すほど強い眼差しを向けていた。
『くくっ…』
先に目をそらしたのはクルルだ。くつくつと、例の嫌な笑いを浮かべる。
『ほんと、馬鹿だよ。あんた…』
「?」
ギロロが訝るよりも先に、銃が触手によって奪われた。
「何をする!」
『あんたが考えることなんて、とっくにお見通しなんだよ。ギロロ先輩』
クルルはニヤニヤと勝ち誇った笑みを浮かべていた。
『ギロロ先輩。あんたがここで死んだら、この女も死ぬことになるぜぇ?』
そう言って別のスクリーンに映し出されたのは、教室で授業を受けている夏美の姿だった。
ケロロたちが居候する日向家の長女で、ギロロが密かに思いを寄せる少女。
「クルル、貴様っ!」
これにはさすがにギロロも青ざめた。
自らの退屈しのぎに、ケロロだけでなく夏美まで巻き込むと言うのか。この時ほど、クルルの性格の悪さを思い知ったことはない。
『どうだ?これで少しはやる気になってくれたか、ギロロ先輩?』
ギロロがこと夏美に関することでは、冷静でいられないのを承知の上での仕業に違いない。本当にどこまでも卑劣な男だ。
『おっと、わざとやられようなんて思うなよ。俺はあんたらの本気の殺し合いが見たいんだ。少しでも手を抜いたら、この女も道連れだぜぇ』
夏美を狙う、暗殺も行える偵察ロボットがモニターに映し出された。
ギロロはギリギリと奥歯を噛み締めた。
ケロロのために死ぬことは躊躇わない。しかし自分たちの揉め事に、無関係な夏美を巻き込むわけにはいかなかった。
『どうする、ギロロ先輩。俺はどっちでもいいんだぜ?』
クルルはそう言っておきながら、選択肢は残されていなかった。
ガックリと膝をついたギロロは、苛立たしげに床を殴りつけた。
きつく拳を握りしめて、ゆっくりと顔を上げる。きつい眼差しの双眸には、怒りの炎が宿っていた。
「クルル、覚悟は出来ているんだろうな…」
地の底を這うほどに低い声が唇から漏れた。ソリッド映像のクルルはフリーズしたように、嫌味な笑い声さえ消えていた。
夏美を助けるためには、ケロロを倒さねばならない。そしてギロロが生き残れば、クルルは当然の制裁を受けることになるだろう。
おそらくそれは、クルルがギロロに行ってきた数々の実験よりも恐ろしいことに違いない。自ら死を望みたくなるほどの恐怖。
ギロロはゆらりと立ち上がった。全身から怒りのオーラが立ち上っていた。
「今のうちに、首を洗って待っていろ。直ぐに、そこへ行ってやる」
むき出しの敵意をまともに浴びて、ソリッド映像のクルルは頬を引きつらせた。
『クッ…ククッ……』
ギロロはスポットライトからはずれて、周囲の暗闇に溶け込んだ。
取り残されたクルルのソリッド映像は、いつまでも暗い笑いを浮かべていた。
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